【 seesaw-game 】
雲隠れの里へ赴いていたナルトが、ひと月振りに帰って来た。
火影から雷影への親書を届ける、という任務内容だったが、それにしては先方での滞在期間が幾分長いし、メンバーにはシカマルも含まれていた。従って親書云々はむしろついでで、次期火影とその相談役のお披露目が主目的だったのだろう。
幼い頃から散々叫んでいたナルトの目標は、彼が忍界の英雄となった今、ただの夢ではなく確実な未来となっているのだ。
一方でサスケはといえば、アカデミーを出たてのチビッコ共に混じって黙々粛々とDランク任務に明け暮れる日々だった。
なんだかんだで彼が木ノ葉の里へと舞い戻ってから、なんやかんやとざっと三年ばかりが経っている。
正真正銘の牢に繋がれること一年半、ナルト及び暗部監視の元での自宅軟禁生活が約半年。そして一年程前から忍としての復帰がようやく許され……いや、そんな短期間で許してしまうとはどういうことだ、やっぱりこの里は平和ボケしてやがんなとか思わなくもなかったのだがそれはさておき。
ともかく、そんなこんなでめでたく下忍からの再スタートとなったわけである。
そしてついでに言えば、サスケは中忍以上の昇格資格は生涯剥奪されている。
更に付け加えると、『まぁでも、お前程の実力者を草刈りや大名どもの遣いっぱしりで腐らせとくのはなんとも勿体ないからねぇ』とか五代目火影はのたまっていたから、そのうちCやらBやら、下手すればAランク任務に借り出す算段はあるらしい。もちろん、待遇は下忍の薄給で。
で、それを聞いたナルトと言えば、例によってぎゃんぎゃん喚いて騒いだ挙句。
『バァちゃんは鬼だってばよ!』
『鬼!鬼ババァ!血も涙もねぇ鬼ババァ!!』
というババァ連呼の罪により鉄拳制裁を受けて両目に見事な青タンをこさえたわけだが、当事者であるサスケといえば実はそれ程堪えてはいない。
むしろ、こうして首と身体が繋がっているだけでたいした温情だと驚嘆せずにはいられないのだ。それどころか、忍としての自分を殺しもせず、里に役立てようというのである。そのヌルさをフンと鼻で笑ってやりたい位だ。
飼い殺し大いに結構。忍として生きていけるというのなら、これ以上他に望むこともない。
(どうせすぐにオレの力は必要になる)
さて、一体いつまで元抜け忍の国際手配S級犯罪者にお呼びを掛けずに人手不足のこの里を回していけるものか。現実主義者・綱手VS臭い物にはフタをしろ、事なかれ主義者の巣窟・木ノ葉上層部か見ものだな、と少々腹黒いことを考えつつ、今日もせっせと川辺で空き缶拾いに精を出して来たわけだが。
「サスケェ~~~ッッ!!」
自宅玄関の引き戸をガラリと開けた途端、そんな大声と共にがばりと力任せに飛びつかれてぎゅうぎゅうに抱き締められ、現在に至っている。
「サスケ、お帰り!お帰りサスケ!!あぁもうもう!スッゲェすっげぇ!会いたかったってばよーっ」
……いや、この場合、『お帰り』はむしろ自分からナルトに言ってやるべきではないだろうか。
珍しく殊勝に、サスケはしばし黙考した。
ここに到着したのはナルトが先で後から帰って来たのは自分だから、先に居たナルトが『お帰り』というのは別に不自然ではない。
が、何と言っても相手はひと月の間木ノ葉の里を離れていたのだ。となると、やはりここは『ただいま』ではなく、『お前もお帰り』とか『お疲れ』とか言ってやった方が良かったりするんだろうな……
ナルトの腕の中に大人しく収まった黒い髪と黒い眼が、感慨深げにほんの少しだけ、ひっそりと伏せられる。
が、しかし。そんな奇蹟的超常現象ばりにレアなデレ発動体勢をアッサリと摘んでしまうのがうずまきナルトという男であるわけで。
「サスケ~~ッ」
旋毛に額に頬に、そして唇に……と、とにかく目につくところ手あたり次第にキスをして、一息ついたらマーキングよろしく首筋に鼻先をぐりぐりさせて。
ついでとばかりにそこをちぅっと吸い上げた所で、早速第一弾のサスケ十八番が飛び出した。
「ッ!だからウゼェよ!!」
更にサスケは膝でナルトの股間をズバリ狙って容赦なく蹴り上げる。ぅおっ!?と当然ナルトは悶絶し、慌ててサスケから飛び退ってその場にしゃがみ込んだ。
「サスケ……。お前な、一カ月振りでやっと再会出来たコイビトに対する態度がコレか……?」
「あァ!?そっちこそいきなり玄関先でサカッてんじゃねぇよ、ウスラトンカチが!」
そして例によっての名台詞で罵られつつ少々涙目でサスケを振り仰ぐナルトであるが、悲しいかな彼は千載一遇のチャンスを自ら無にしたことに気付いていないのだ。
とっとと退け、と更にその尻を蹴り上げてからサスケはさっさと靴を脱いでスタスタ廊下へと歩み去っていく。
そう。サスケだって別に、いきなり罵声も暴力もしたくなんてないのだ。何しろ、お帰りとお疲れを言ってやろうと思っていた位なのに。
ところがナルトといえば、いきなり抱きついてくるわ……。いや、そこまではいい。しかしその後は吐息どころか鼻息も荒く、文字通りむしゃぶりついてきたわけである。そして勿論密着しているからこそ解る状況もあるというわけで、奴の下半身は以下略。
サスケにしてみれば、待ちに待った?恋人??(いやだからそもそもこの表現自体がサスケのカンに障っていたりする)の帰還というよりは、散歩帰りの大型犬にじゃれつかれて舐めまくられ、挙句発情までされたとしか言えない状況なのである。
別にムードを重視したいタイプではないが、ここまであからさまに過ぎるとさすがに少々いやかなりイラッとくる。
あぁそうか。あれか、お前は結局それか?
キレて何が悪い、と主張したい。
とは言えハグされただけで終わっていたら、それはそれで「ナルトっぽくねえな」とかおそらく不満に思っていただろう自分がなんとも怖いところでもあるのだが……
そして、サスケェ~と情けない声でその背に呼び掛けるナルトは、恋人(ちなみにナルトはサスケをコイビトだと当然断然俄然主張する)のそんな複雑な心境を残念ながらちっとも慮ることが出来ず。
もしかしたら、ほんのちょっとだけキスの回数を減らして、衝動をもう少し控えめに表現出来てさえいれば、帰り道に散々妄想した『ただいまもしくはお帰りのちゅーからそのままハゲシクなだれ込む計画』……そう、妄想が些か暴走し過ぎてサスケの匂いを認識した途端にアッサリシッカリ身体が反応してしまったわけなのだ……が実現出来ていたかもしれないという事実に気付くこともなく。
「や~っぱアイツってば、どうしようもないテレ屋なんだかんなー」
ニシシ、と相変わらずの上機嫌な笑顔を復活させ、どうにもズレた結論に一人悦に入るのであった。
◇
さて。出会いがしら否再会がしら清く正しい意味での一戦やらかした(いや一戦というかサスケからの一方的制裁ではあったが)二人ではあるが、とりあえずリビングに落ち着き手製の麦茶で一息入れる頃にはなんとか双方の気持ちも収まりつつあった(双方というか主にサスケの)。
「……これは何だ?」
「それは雷の国名産の焼き物。その、赤い色が特徴だってさ」
テーブルには任務先から持ち帰って来たという土産物が所狭しと並べられ、物珍しさに惹かれてサスケが手を伸ばす度にナルトが説明を入れてやる。
「こっちは向こうで食ってウマかったスナックで、ハマッたっつったらカルイのねーちゃんが五つもくれた。あとは秘伝の薬草だろ、それとプロテインセットと……」
土産物、と言ってもナルトが購入したわけではなく、雷影や八尾の人柱力、その弟子たちから惜しげもなく振る舞われたものらしい。
雷影とナルトの間ではけっこう色々あったようだが、その真っ直ぐな性質は彼に強い印象を残したようだ。忍界大戦で果たした役割も素直に讃え、今ではナルトをひどく可愛がっている。里同士の交流が盛んになったことから共同任務なども試験的に行われており、弟子たちとも既に馴染みの関係だ。
八尾の人柱力とは言わずもがなだ。我愛羅然り、人柱力は人柱力同士でしか理解出来ない孤独や葛藤の過去を数多く共有しているからこそ、お互いに対する親愛や信頼が深い。
そしてサスケといえば、雲隠れの里及び雷影及び人柱力その周辺に関してはさすがにどうにも居たたまれないような気持ちがあるのだけれど、かと言ってただ単に頭を下げて終わりにしたいというわけでもない。
あの頃の自身についてはもちろん間違っていたことも多いと感じているし、それによって傷つけた人々には心から申し訳なく思っている。
だが一方で、では当時を悔いているかといえばそうではないのである。
間違いでもなんでも、あれはギリギリ精一杯苦しみ抜いて考えて、のたうち回って懸命に選んだ行動だったのだ。
もちろん過ちは認めるが、後悔もしていない。だから、いつでも咎を受ける覚悟はある……と言うと、ナルトはいつもどうしようもなく複雑そうに、その青を曇らせるのだけれど。
「で、そっちが湯の花から作った天然の入浴剤な。今風呂入れてっからさ!」
「そうか。湧いたらとっとと一人で入ってこい」
微かに鼻を突く匂いの小袋を突き返せば、ちぇ、と尖らせた唇が返ってきた。
幾歳になってもナルトのそんな表情の解りやすさは変わらなくて。取繕うことをしないその潔さはサスケがナルトに惹かれる理由のひとつだったけれど、まぁそんなことをこの場で言う必要もない。というか、こんな下らない遣り取りで以て伝えたくもない。
それはさておき風呂好きのナルトのことだ、温泉に連れて行ってもらったというのならさぞ大喜びだっただろう、とその光景を微笑ましいような気持ちで思い浮かべつつ……あくまでそれは気持ちであって実際サスケは欠片も笑んだりなどしなかったが……何気なく目についたガラス瓶を持ち上げ、中身を覗き込むやいなや、ぎょっとそれを取り落としそうになった。
「……おい。何だ、これは?」
「え~っと……」
重ねた和紙とぐるぐるに巻いた紐で厳重に封を施したそれは、ちょうどリンゴ一個分程の大きさである。
中身は何やら黒っぽいような茶色っぽいような、それでいて白さが見え隠れする節の入ったコロッとした物体で、更にいうなればその先には小さな丸いモノが付いており。
「えっとな。それは、だから、なんつーか……」
オイ、と強い調子で重ねれば、ナルトは何やらもにゃもにゃと呟きながらじりじり後退りする。
しかし、そんなあからさまに怪しい態度を流すサスケではない。ぎ、と眼に力を込めて見据えてやれば、さすがにナルトも観念したのだろう。
「いや、だからな?オレだって断ろうとしたんだぜ?」
往生際悪く言い訳めいた前置きをしてから、コホン、と改まって咳払いする。
「え~っと。これはビーのおっちゃんからのオススメの逸品で、非常に栄養価が高くついでに高価とか言うことで」
「……で?」
「……キラービー様特製、ベビービー佃煮。だってばよ」
瓶を突きつけられたナルトが、小さな告白の後に目を逸らす。それはもう、その中身を見たくない雰囲気アリアリで。
「そんで、ベビービーはつまり……ハチノコ、だ」
「ベビービー?ハチノコ??」
そして、耳慣れない単語をしばし反芻していたサスケだったが。
ハチノコ、の脳内文字変換が達成された次の瞬間、彼は見事なフォームでその瓶をナルトへと投げつけていた。
「やっぱりか!?どう見てもなんかの幼虫にしか見えねえと思ったが、まさかほんとにこれは虫だってのかあァ!?」
「落ち着けサスケェ!他里の食文化を差別しちゃいけねぇってばよ!まぁ確かに見た目はちょっとグロいけど、でもマジでスッゲェ身体に良いらしいんだって!!」
「ならなんでお前はさっきからコレを直視しねぇ!つか、避けてんじゃねえぞナルト!!」
「だってオレ、虫料理は妙木山でトラウマなんだってばよーっ」
ハチノコ。すなわち……蜂の子。
半泣きになったナルトだったが、叫ぶ勢いに任せて転がっていた瓶を掴み取り、そのままサスケへと投げ返す。
「♪ウマ味は珍味、ツマミに最高オオイエ~とか言われても、オレこんなの絶対ェ食えねぇってばよ!」
「自分が食えねぇモンをテメーはオレに食わすのか!?そんで、歌ってんじゃねえよ!!」
かなりの勢いで迫ってきた瓶を危なげなく片手でキャッチしたサスケが、それを倍のスピードでまたナルトに投げつける。と思えば、受け留めたナルトは更に三倍の速さでやっぱりそれを投げ返す。
なんかもう、ただのキャッチボールである。
「騙されたと思って食ってみりゃウマいって、ビーのおっちゃんも言ってたし!だから、サスケならいけるんじゃねーかと思って」
「オレならいけるってどういう意味だそれは!確かにオレはお前程偏食じゃねえが、ゲテモノ系はダメなんだよ!!」
「いやだから、栄養つけさせてやろうと思って!だってホラ、お前ってオレより細いっつか薄いだろ?触ると肋骨とか当たるしな。そんで腰掴んだら……」
「ドサクサで妙なこと口走ってんじゃねえよ、クソが!!」
怒りMAX時の決め台詞と共にぶんっと投げつけられた“キラービー様特製・ベビービー佃煮”がナルトの眉間にゴツンとクリーンヒットする。
痛ぇ!とナルトは仰け反って転がったが、サスケにとっては至極どうでもいいことだ。予めの注意もなく危険物を他の平和な土産物に混ぜ込んだ上、さり気なく自分へ押し付けようとした当然の報いである。
ハァハァと荒い息を吐きながら、ナルトが赤くなった額を片手で押さえる。物騒な視線でそれを睨みつけるサスケの呼吸も、同じように乱れている。
音声だけ拾うとなんともイチャパラR18な雰囲気ではあるが、その原因が二人の傍に無言で転がる瓶詰めの蜂の子佃煮だというのがなんとも残念だ。
そして、オススメの逸品がこんな扱いを受けているとかの人柱力様が知れば、例のラップ演歌にもっと情念とやらが篭もるかもしれない。そう、一番気の毒なのはせっかくの好意を無碍にされた彼である。
「……解った。明日、ガマ竜を口寄せする。そんで、オヤツにやる」
やがて、天井を仰いだままナルトがそう解決案を打ち出し、サスケが無言でそれを首肯し眉間の皺をやや浅くすることで事態は収束を得たのだが、その頃には二人とも妙にぐったりしていた。卓上にはまだ他にも土産物が並んでいたが、もはやそれを楽しむ気力も失せている。
これは既に、好意どころかちょっとしたテロ行為だ。
さすが、キラービーの名はダテじゃないってばよ。
ふぅ、と軽く呼吸してからナルトは起き上った。
「そっか。ビーのおっちゃんって言えば、手紙書かなきゃいけねえんだった」
「手紙?」
「そ。木ノ葉に着いたら連絡入れろって、アイツ貸してくれたんだ」
「へぇ……」
くいっと指し示された縁側には、立派な鳥籠がででんと置かれている。
連絡用、しかも雲隠れまでの長距離を運ぶことの出来る鳥といえばやはり鷹や隼だろうかと、サスケの眉間の皺が俄かに解消した。
口寄せに鷹を使う彼とすれば、猛禽類にはやはり愛着があるのだろう。今までの土産物のどれよりも興味をそそられたようにサッサと歩み寄っていくその姿を見送り、ナルトは若干ヘコんだ。
「まだ若鳥みたいだが、いい鷹だな」
しかも、機嫌良くそんなことを言って籠に手を差し入れ、穏やかな眼差しで喉元を撫でてやっているし。
なんだかちょっと面白くない。
だって、こっちとくればあんなに優しいスキンシップのカケラだっていただいていないのだ。いただけたのは股間への膝蹴りと、額への瓶攻撃のみなのだ。
たかが連絡鳥相手に次期火影が嫉妬というのはなんとも情けないが、ムカつくものはムカつく。思わずメラッと燃える瞳で鳥籠を睨みつけてしまい、殺気を感じた哀れな鷹がビクリと羽を震わせたが何が悪い。
と、そこにタイミング良くピーッと長閑な電子音が響き渡った。これ幸、とナルトは勢い込んで提案する。
「サスケ、お前先に入ってこいよ。オレ、さっき軽くシャワー浴びたし、コレ書いちゃうからさ」
そして一番風呂の権利を気前よく譲って紙を広げたのだが、サスケが浴室へと去った後、シャワーの水音が聞こえるにあたってやはりどうにも落ち着いていられるわけがなく。
『どんな感じだってばよ?』と極めて温厚に風呂を覗いてしばらくは平和に効能などの会話をしていたものの、やっぱりそれで収まるはずもなく。
さり気なく(とナルトは思っていたが、まぁ確かに力を入れ過ぎたかもしれない。ちょっとだけ)濡れた肩に手を置いた瞬間に石鹸を投げられシャンプーボトルで殴りつけられ、結局は這う這うの体で撤退を強いられたのだった。
◇
生来気が長い性質ではないサスケは長風呂なんて滅多にしないのだが、それでも普段に比べて随分のんびりと浸かってしまった程度には、件の雲隠れの湯はなかなかに楽しめた。
夏真っ盛りなこの時期、しかもナルトが不在の間はシャワーで済ませることも多かったから、余計にそう感じたのかもしれない。
白く濁った湯は少々熱めだったがすっきりと汗を出してくれたし、僅かな滑りを帯びた感触もタオルで拭えば肌がしっとりとなって心地良い。
これで、ナルトの襲来さえなければ完璧だったのに。まったくあのウスラトンカチが……と、そろそろ十年を数えそうなあの言葉が重なる由縁である。
一方でそのナルトと言えば、サスケに撃退された後、土産物に埋もれながら大人しく巻紙に向かっていたわけだが。
「つーかさ、何て書けばいいんだよ……」
数行書いてはビリッと紙を千切り、書き直してはまた千切り。紙屑をせっせと生産してはただでさえ満員御礼なテーブルを更に混沌とさせ、ついには周辺の床にまで巻き散らかし、風呂上がりのサスケの眼を眇ませる状況へと陥っていた。
「無事帰ったってことが伝わればいいんだろ?」
簡潔にそんだけ書きゃいいじゃねえか、とミネラルウォーターのキャップを捻りつつ軽くそう言ってみたのだが、しかしナルトは真剣な面持ちでそれに首を振った。
「いや、そうじゃなくて……。言いたいことがいっぱいあんだ。ビーのおっちゃんたちにはほんと良くしてもらってオレすげぇ楽しかったし、土産物もあんないっぱいもらったしな」
しかしそれを、どう文章で伝えればいいのかが解らないらしい。
そして、う~んと唸るやまた紙を千切って丸め、ポイと放り投げるものだから、自然サスケの眉間は険しくなる。昨日まではあんなに整然とした部屋だったのに、ナルトが帰って来た途端にすぐこれだ。
サスケは特に潔癖症でも几帳面でもないが、ナルトと暮らしているとどうしても何かと口と手が出てしまうのが密かな悩みだ。
散らかすな。物は元の場所に戻せ。ゴミはちゃんとゴミ箱へ、だからってなんでも同じゴミ箱へ突っ込むんじゃねえ分別しろ。
それでまたナルトが、『サスケはいちいち細けぇってばよ』とか能天気に言うもんだから余計癪に障る。そう、家事その他の面で口うるさくなる自分がサスケは嫌なのだ。なんだか女々しいような気がするし、家庭環境にこだわることすなわちナルトとの生活を快適にしようと頑張っているみたいで、たまにちょっと自分で自分が寒くなる。
まぁ、なんかもう今更な感じもするのだけど。
「それ、個人的なモンなんだろ?」
冷たい水を呷って、ひとつ嘆息する。
「公文書じゃなく私書なんだ。別に、堅苦しい文章で書く必要ねえんじゃねーか?」
「コーブンショ?シショ?」
アドバイスの気分でそう言ってやれば、きょとん、と眼が丸くなった。あぁもう、コイツが火影なんて果たしてやっていけるのだろうか。これも今更な疑問だが、とりあえずは仕方なく、わかりやすい表現で言い直してやる。
「木ノ葉隠れの里の忍・うずまきナルトじゃなくて、ただのナルトで書く手紙だろってことだ」
しかし。当の次期ホカゲサマはと言えば。
瞬間怪訝そうな顔をした後で、元気いっぱい笑顔いっぱいに力強くこう断言なされるのだ。
「何言ってんだサスケ?オレはいつでも木ノ葉のうずまきナルトだってばよ!」
「……チィ」
「……え、何でそこで舌打ち?」
理解の一片も期待出来ない風情で不思議そうに首を傾げるナルトを横目に捉え、サスケはうっかり頭を抱えたくなった。
本当に大丈夫か?コレで、この里はやっていけんのか?
シカマルの今後が激しく心配される。いつも飄々として大概のことには動じない男だが、実は胃が悪かったとかそういうオチはないだろうか。
本当にどうしようもねえな……と、そこでサスケはナルトが一番納得出来るだろう最終手段を用いてやることにした。
「だから、その木ノ葉のうずまきナルトが仲間……、友達、に出す手紙ってわけだ。なら、別にカッコつけることねえ。思うまんまに、お前が言いてぇことをそのまま書けばいい」
「あぁ!なるほどな!」
すると、今度は至極アッサリと合点がいったらしい。ぽん、とひとつ手を打ってからナルトは俄然やる気を出したように筆を持ち直す。
さすがは『友達だからだ!』を理由に、かつて自分に一緒に死んでやるとまで言ってのけた男だ。彼にとって『トモダチ』は最上級の言葉であり、その一言で人間関係とそれにまつわる数多の状況あらかたが説明づけられるらしい。そのポテンシャルたるや、ハンパじゃない。
「え~っと……前略ハイケイ草々、ビーのおっちゃんゴブサタしてますお元気ですが、オレはモチロン元気だってばよ!」
早速、イキイキとした声が響き渡る。なんか最初っから色々と間違っているけれど、サスケはそれを無視することにした。指摘すると、またさっきのような遣り取りが発生すること必至だからである。
ここはもう、この先のシカマル及びサクラ辺りの教育に期待するとしよう。それに相手はあの八尾の人柱力だ。結語が頭語になってようが頭語が重なっていようが、全然ご無沙汰じゃなかろうが多分気にも留めないだろう。彼が気にするとしたら、それはおそらく韻とかリズムとかだ。
「……さっき、無事木ノ葉に着いた所だ。雲隠れもいい所だったけど、やっぱオレは木ノ葉が一番だなって、久し振りに帰って来て余計思った。大切な仲間がいっぱいいる所だし、なんつってもここにはサスケがいるから!……っと」
さて、大人しくナルトが手紙に勤しんでいる間に晩飯の支度をしてしまおうと台所に立ったサスケは、ふいに飛び出た自分の名に思わず振り返った。
何故、そこでいきなりオレなんだ?しかしナルトは、不審がる視線を全く気にせず(いや絶対気付いてさえいない)、鼻歌交じりの上機嫌で手紙を進めていく。
「温泉とか色々アチコチ連れてってもらってどこも面白かったけど、でもやっぱ一番はおっちゃんと手合わせ出来たことかな?九喇嘛のヤツも、久々に八っつぁんに会えて嬉しかったみてぇだし……で、」
フンフンと頷くのに合わせて筆先と金髪頭がひょこひょこ揺れる。まぁいいか、と、とりあえずサスケは手を洗った。
ナルトが自分を並々ならぬ情熱でもって追い掛けていたのは雲隠れでも周知の過去だ。今更いちいちツッ込んでも仕方がないから、とりあえず献立などを考えてみる。普段は先に帰って来た方が食事を用意するという暗黙のルールがあるのだが、さすがに今日くらいは自分が作ってやろう。ささやかな慰労の気持ちだ。
(っと。ナルトが持って帰って来たコレがあるんだっけな)
シンクの片隅に転がった物体を見て、そういえばと思い出す。腕くらいの太さで長細いそれは、ナルト曰く、『イモの親戚みてぇな』野菜だそうだ。
薄茶色で所々にヒゲみたいなものが付いているが、皮を剥き摩り下ろして食べるらしい。向こうでは刺身に乗っかっていたり吸い物に入っていたりしたそうだが、アッサリとして食べやすく、しかも喉越しが良くて気に入ったと言っていた。
生卵を加え醤油で混ぜるのが簡単で一般的らしいから、それを丼飯にかければいいだろう。それと、昨夜の残りの鶏の唐揚げ(そろそろナルトが帰ってくる頃かと日数を読んでいたら買い過ぎた)とさっき一楽に寄って買ったチャーシュー(ナルトが帰って来たらコレを与えておけばしばらくは大人しくしてるかと思った)を切って、あとはキャベツとトマトを添えるか。
なんとも脈絡の無いメニューではあるが、まぁ、若い男の二人暮らしなんてこんなものだ。汁物は昨夜作った味噌汁の残りがある。
しかしおろし金なんてあったか?いや、滑らかにするならすり鉢の方がいいのか?などと考えているその背後では、ナルトの声が調子良く続く。
「でもホント、アイツってば相変わらずブアイソでごめんな?そんで喋ればツンツン憎まれ口ばっかで口悪ぃし、なんか常に上から目線だし……」
台所探索の結果、すり鉢は首尾良く床下収納から発掘された。しかし、サスケの動きはそこで固まる。
なんだか今、ものすごく身につまされる表現が聞こえた気がするのだが。
「でもさ、あれでも喜んでんだぜ?ホント不器用ってかキモチを出すのが下手クソって言うか。なのにたまーにさ、オレを心配してるみたいなこと言ったりもするんだ。そこがまた可愛いなって、最近よく思う」
「……」
可愛いのか。あの九尾が、お前は可愛いのか。
お前にとって九尾はただのツンデレキャラか。ていうか本当にそれ、手紙に書いてんだろうな。本当にそれは九尾に対するお前の見解なんだな、あくまで九尾、だよな?
数々の疑問が渦を巻くが、それを口に出して確認すればなんだかとんでもない回答が返ってきそうな予感がして、あえてサスケは口を噤ぐ。
そうだ、聞こえないことにすればいい。これはあくまでナルトから八尾の人柱力への私書なのだ。そもそもいちいち口に出しつつ書く方がおかしいのだが、無視しておけばいい。そう、無視なら得意だ。
「……にしても雲雷峡っていい所だよな。ここでおっちゃんとサスケその他が戦ったんだって思ったら、ちょっとカンガイ深かった」
サスケが迷惑掛けたな、とか勝手に謝らない所には感謝する。しかし、“サスケその他”とは何だろう。香燐が聞いたなら、『アンタはサスケ以外に興味全くねぇのかああぁぁ!?』と、キレているところだ。
しかし無視、それでも無視だ。下手に触れるな話がややこしくなる……と、イモもどきを扱い易いサイズにするため、とにかく包丁を握る。
「土産物もいっぱいありがとな。サスケも色々キョーミ持って面白がってた」
何でそこでまたオレの名前が出てくるんだっつか別に面白がってねえよ、と言いたいが、流しとけ。
「雷影のおっちゃんにサムイとカルイのねーちゃん、オモイのにーちゃんとダルイやシーのにーちゃん……えっと、とにかくくれぐれも皆によろしく伝えてくれ。プロテインはゲジマユとゲキマユ先生、あとカカシ先生にヤマト隊長だろ、イルカ先生やサイとかキバに分けて、スナックはチョウジと一緒に食う。んで、薬草はサクラちゃんにーっと」
そんなに個人名を列挙して果たして相手に伝わんのか?と思うが無視しとけ。せめて本名で書いてやれよマユゲで雲隠れにインプットされたらあの師弟が哀れだろ、とも思うが気にするな。
カカシがプロテインなんて飲むと思うか?少なくともイルカ先生は無縁っぽいぞ余計なことしてやんなむしろ気の毒だとかは、まぁ実際土産物を分配しようとした時にでも一言入れてやればいい。今はスルーだ、スルーしとけ。
「あ、そんでそんで、例の入浴剤な!」
そして、スルーといえば当の八尾の人柱力様からのオススメの逸品については気持ち良くスルーしているあたりが何気にさすがである。
それにしても、何でこれはこんなに滑ってやがるんだ?せっせと皮を剥きつつ、サスケの細い眉が寄る。
「サスケも気に入ったみてぇで、いつもより長風呂してた」
と、その寄った眉がヒクリと不穏に蠢いた。
何だか微妙に手が痒くなってきたような気がしたのだが……いや、それよりもだ。
「ナルト……」
無視しろ無視、と呪文のように唱え続けていたものの、どうしても耐えきれずに呼び掛ける。
「お前、オレと住んでるって雲隠れに言ってんのか?」
うん?と上機嫌ノリノリの顔が持ち上がる。そして、何を今更、と言わんばかりに。
「うちはサスケは今どうしてる?って聞かれたから、一緒に暮らしてるって言ったけど?」
「……そうか」
「オレ、何か変なこと言ったか?」
「いや……別にいい」
「ふうん?」
(……別に良くねぇ。全然良くねえよ!)
不思議そうに首を傾げるナルトを怒鳴りつけたいが、ダンッと勢いよく包丁を振り下ろすことでその衝動をなんとか堪える。
そうだ、ナルトに罪は無い。あの、“うちはサスケ”の現状を気にするのは雲隠れとしては当たり前だろう。次期火影たるナルトがそれに答えるのもまた至極当然だ。ナルトとしても、別に好き好んで自分との同居を公言して回っているわけではないはずだ。と、信じたい。
そして“うちはサスケ”に匹敵する力を持つ忍といえば“うずまきナルト”しかいないのだから、監視役として彼が同居していることに不自然はない。いや、実は既に監視は解かれているのだが、監視のためなのだと思ってくれるだろう。
「あぁそういや、一応の自由は認められて忍に復帰出来たけど、色々心配だしオレが一緒にいてぇから同居してんだっつたら、ちょっと驚いてたなぁ雷影のおっちゃんたち」
「……そうか」
一縷の望みが一瞬で無残に砕かれたが耐えろ。
例えナルトが手紙の中で唐突に『ここにはサスケがいるから!』などと宣おうが、サスケその他とか言い出そうが、普段より長風呂だったとか無駄なパーソナリティを披露しようが、相手はきっと、あくまで『ただの同居』だと思うはずだ。
というか、普通はそれ以外なんて想像もしないものだ。そうに決まっている。
手頃な大きさにカットしたヌルつく白い物体を、サスケはひたすらすり鉢でゴリゴリとやった。ああそうだ余計な気を回すな墓穴を掘りかねない。とにかく今は、目の前のこのイモもどきに集中しとけ。
「……って感じかなぁ?とにかくいっぱい世話になっちまって、ほんとありがとな!」
かくしてナルトから八尾の人柱力への私書は、なんとかようやっとまとめへと向かっていく。
「ビーのおっちゃんもぜひ一度木ノ葉に来てくれ。案内してぇ所がいっぱいあるし、サスケも皆も喜ぶと思う。その頃にはオレも立派な火影になってるよう、諦めねえド根性でこれからも絶対ぇ頑張るからさ!それじゃあな!!キンケイ敬具後略、うずまきナルト……っと!」
オレは別に喜ばねーよと思う。結語がまたもあり得ねーよとも思う。だが、締めに語られるその言葉こそ何よりナルトを示すものだったし、押し並べて無茶苦茶な文面すら、彼ならではの懐っこさや大らかさ、そして明るさが忍ばれるというものだ。
色々と気になるところや言いたいところは多々あれど、まぁ、ナルトだから仕方ねーか。
そしてサスケはやっとその唇を緩めた……のだが。
「追伸!」
そこに、ナルトの弾む声が響き渡った。
「おっちゃんにもらった例のアレ、今サスケが一生懸命リョーリしてくれてんだ!」
ふいに、サスケの手がピタリと停止する。
……一生懸命?例の、アレ?
「教えてもらったもうイッコの使用法だけど、アレやったら多分千鳥か下手すりゃ天照かなって思うから、まずは普通に食ってみる。オレもちょっと抵抗あるっつーか……」
すぅっと細められた黒眼が、まさに今摩り下ろしが完了した白く滑らかな物体へと視点を定めた。
何だ。コレは、一体何だというのだ?もうイッコの使用法とは何だ天照すら発動したくなるようなモンなのか、抵抗があるとはどういうことだ?
「なんつっても、滋養強壮効果バッチリなんだもんなー」
ナルトの嬉しそうな言葉は続く。ジヨーキョーソー、キョーソーと実に楽しげに繰り返している。
……ゆっくりと、サスケは振り返った。
「オレってば、今日はサスケを寝かさない気満々だったけど、もしかするとアイツの方がオレを寝かせてくれねえんじゃねーかなー……なーんて、へへっ」
視線の先で、蕩けんばかりの笑みをダダ漏れにしたナルトがぴりっと威勢良く紙を千切り取る。書き上がりホヤホヤのその手紙を、何度も頷きながら満足そうに眺めている。
「ウンウン!サスケのおかげでいいシショが書けたってばよ!」
そして彼にしては丁寧にくるくるっとそれを丸め、きゅっと紙紐で結えるその背後では突如として不穏なチャクラがザワッと噴出しているのだが、忍として非常にあるまじきことに、ナルトは全く気が付かなかった。ただいそいそと飛び跳ねるように縁側へと向かい、上機嫌のまま籠の蓋を開け、連絡鳥を抱き上げる。
「ヨシヨシいい子だな~。頑張って運んでくれよ~」
先程精神的圧力を掛けて軽い心理的動物虐待をやってのけたことなどどこ吹く風。小さな頭をぐりぐり撫で回しててやってから(若鷹はまだ少し怯えていた。というか、かなり迷惑そうに見えた)手紙をセッティングし、さて。
「これで完璧っと!じゃぁ行ってこー……ん?」
……と。
ここでようやくその並々ならぬ凄まじき殺気を感じて、ナルトは空へと伸ばしかけていた腕を留めた。ハッとなって身を翻す、その、一瞬前まで居た場所に。
「……へ?」
「ナァールゥー……」
――――トォォォォォォォォォッッッ!!!
雄叫びと共に、一本のクナイがザクッと突き刺さっていた。
◇
サスケは堪えていた。
自分で自分を褒めてやりたい位に、常の彼にしては考えられぬ程に我慢を重ねていた。
例えナルトが世間一般の成人として常識だろう程度のお手紙マナーすら知らないとしても、火影以前に普通知っているだろう用語を全く理解していないとしても。
そして、不自然に自分の名前を手紙に書き連ねようと監視が解けてなお同居しているのだと言われようと、珍しく長風呂だとかそんなことまで遠く雲隠れの里まで伝わってしまおうとも、我慢した。無視して流して、スルーしておこうと試みた。
いちいちツッコミ出すとオレの身が持たねぇというのもあるし、まぁ、何と言っても、今こうして生きている上に忍までやっていけてるのは、多分、ナルトのおかげなんだし。
――――だが。
「お前は一体何を持ち帰ってきやがった!?」
我慢の限界だ。自分にもプライドがある。
そして、サスケはそのプライドというものが、恐ろしく人様以上に高過ぎる男なのだ。
「寝かさねぇとか寝かせてくれねぇとか、一体どういうつもりだ!あァ!?」
さ、と構えた物体を次々に放つ。今度は千本だ。
「しかも、“サスケが料理してくれてる”だと?」
ダンダンダンッと、鷹を抱えて転がるナルトの周りを千本が綺麗に貫いていく。
軌跡を追えばそのまま回避経路を辿ることが出来る実に見事で完璧なものだったが、別にサスケは攻撃をギリギリで逸らしているわけではない。
「お、落ち着けサスケェ!待て、待てってばよ!」
片手で鷹を庇い直したナルトはもう片手を縁側の板床に着き、バランスを取るや今度は低い横っ飛びで千本を躱し、即座にスタッと右足を立てて身構えた。
いつでも反撃可能な体勢。その、紙一重でこちらの攻撃を避ける一切の無駄と隙の無いシャープな動きに、サスケの怒りのボルテージは更に上がった。黒いその眼が俄かに紅く染め上げられる。
「滋養強壮の食材を、このオレが!!一生懸命調理してる!?……冗談じゃねえぞ!」
「違うサスケ、ご、誤解っつか、オレの書き方がちょっと悪かっただけだってばよ!」
「書き方もクソもあるか!テメーが言ってんのはつまり、土産にもらった強壮剤をオレ自ら進んで用意して、久し振りにテメーと思う存分一晩中ヤりたがってるってそういうことだろうがぁっ!オレはそこまで欲求不満じゃねえぞ二回位で充分だ、うちはをナメるな!!」
煮え滾り過ぎてついに雷の性質変化を左手に纏わせたサスケは、もはや自分こそあらぬことを口走っていることにさえ気が付いていない。
チリチリ……と空気が震えた。ナルトの腕の中で、哀れな鷹が目を丸くして(鳥だから元々だが)必死で爪を立てる(猛禽類だから当たり前だが)。
「ナルトてめぇ、まさかあの八尾の人柱力にオレたちのこと言ってんじゃねえだろうな!」
「い、言ってねえ!言ってねぇってばよ!!っとぉぉぃぃいいいい!?」
咄嗟にナルトは素早く印を結び、影分身を発動させて鷹を掴み直すや分身に託した。
そして本体は縁側から庭に飛び降り、仰け反っては屈んで、屈んでは仰け反って飛び跳ねて、間断なく飛来する千鳥千本を遣り過ごす。
「たとえ言ってなくてもな、そんなの書けばバレバレじゃねぇか!」
「言ったんじゃねえだろうなって聞いてきたのはお前だろサスケ!?言ってねえって言ったのに、何で怒るんだよ!」
「言ってなくても言ってるのと同じことだろうが!あァ!?」
なんだかもうどうにも支離滅裂な感じだが、堪えていた分サスケの怒りは凄まじい。
彼はただひたすらに投げ、ひたすらに吠える。炎上する眼に浮かんでいるのが三つの巴模様であることだけが、唯一理性のよすがと言えよう。
「……あんな下らねぇ追伸、必要ねぇんだよ!!」
ふいに、慣れた気配がナルトの背後へと舞い降りた。
慌ててナルトは後方へと身を翻し、過たず首筋を狙って振り下ろされた手刀を叩き落した。自分より若干細い手首を素早く掴み捕えるが、それはサスケの狙い通りだったようだ。
ナルトのその手を力点に、彼はふわりとそのしなやかな身体を躍らせる。
「この……っウスラトンカチがぁぁぁぁっっ!!!」
それはそれは気持ちがいいほどキレイに、サスケ渾身の蹴りがナルトへと炸裂した。
もちろんナルトは顔前で交差した両腕で以てそれを防いだが、到底その勢いまで殺し切れるはずもなく。
「わかった!わかったからサスケ!悪気は無かったんだってホントなんだってばよ、ぜ~んぶサスケへのアイ故だったけど、でも悪かった!なんかもぅよくわかんねーけど、とにかくゴメン書き直すから!!」
弁明と、愛の告白と謝罪を述べつつ後方へと吹っ飛んで…
「うわぁぁぁぁっ?」
「あぁぁぁぁぁっ!?」
ユニゾンで悲鳴が重なり、ボン、と微かな煙と共に影分身が消え飛んだ。
と、同時に。
ばさささ……
「――――あ、」
数枚の羽根を残し、鷹は高々と夏の夕空へと飛び立っていった。
木ノ葉上空数十メートル。方向を確かめるようにくるりと大きなマルを描いてから、やがて茜雲を突っ切って、力強く彼方へと羽ばたいていく。
呆然とそれを見上げる、二人分の視線を釘付けにしながら。
◇
じくじくと親指が痛い。
手に残っていたヌルヌルのせいでいつもより強く噛み切ったものだから、そこからはまだ僅かに血が滴っていた。
そして、薄闇にそれを透かし見るサスケの眼は、いっそ恐ろしいまでに平坦である。
(すまねぇ、重吾……)
胸中に浮かぶのはかつての仲間の、平常時のあの穏やかな面差しだ。
彼は雲隠れを気に入っていたようだから、もしかしたら今はそこにいるのかもしれないと思っていた。ならばいつか雲隠れを訪ねて再会し、元気な姿を確かめよう。そんな風に思っていたのだ。
そう、何と言っても自分は彼の檻であることを約束なんてしてしまっているのだし。
―――だが。
(オレは多分、一生雲隠れには行けそうもない……)
というか、行けと言われても行きたくない。今後、真顔であの地を踏めそうもない。
それもこれも、すべてはこの男のせいである。
「なぁサスケ……サスケ?」
ちんまりと殊勝に正座したそのウスラトンカチが、恐る恐るこちらへ呼び掛けてくる。
「だって、仕方ないだろ?お前まだ今は、木ノ葉から出ることは許されちゃいねーんだし……」
そう、それを理由に、あの後咄嗟に自分の鷹を口寄せしようとしたら必死になって腕を掴まれ阻まれた。
そんなことどうでも言い、と思わず叫んで力任せにその手を振り解こうとしたら、瞬間その青が深さを増して、常より低い声に問われた。
『サスケ……それ、本気で言ってんのか?』
だから、それでもうどうしようもなくなってサスケも引き下がり、追いかけ掴まえることの出来なくなった連絡鳥を悲しく見送ったのだけれど。
「な、大丈夫だって。あれってビーのおっちゃんへのシショだから、他の皆には広まらないって。そんでおっちゃんだったら、オレらのことだってちゃんと解ってくれるってばよ」
(どう考えても無理だろそりゃ……)
他の皆、とやらがどこまで含まれるかはさておき、少なくとも雷影へは伝わるだろう。
何せあの義兄弟はツーカーだ。♪HEYブラザー、だってばボーイから手紙だってばYO、と、ノリノリで手紙を披露する様が目に浮かぶようだ。
ちゃんと解ってくれる?ちゃんと解ってくれるってどういう意味だまさか祝福してくれるとか言うんじゃねぇだろうな、そんなものされたらオレは絶対憤死するぞ。
「サスケェ~」
だが、何もかも時既に遅し。
件の手紙は遠く放たれ、もはやどうしようもないのだ。情けない声でしつこく呼んでくるナルトは、まぁ彼なりに反省しているみたいだし。
「……怒ってねえよ、もう」
こうなった以上それしか言いようもなくて、サスケは項垂れるナルトへと手を伸ばした。
「ただな。今後はあんな軽い気で、ああいうこと書いたり言ったりするんじゃねえぞ?」
軽く小突きながらそう釘を刺せば、その奥の意味を察したみたいにナルトが真顔で頷く。
とにかくまっしぐらで、一途で。我儘で時に行き過ぎて暴走して、妙に頑固で融通の利かない面もあって。
だが彼は、こちらが投げたものに対してもいつも真っ直ぐ受け留める。表面じゃなく、その裏側の奥の奥に捩じ曲げて押し込めて、隠そうと、無かったことにしようとするものさえ見付けてみせる。
それは、サスケがどうしてもナルトに惹かれてやまない、大きなひとつの理由。
「……ごめん、な。サスケ」
伸ばした手がやわらかに掴まれて、傷ついた指をそっと含まれる。
オレちょっと調子に乗ってたかも……と言いながら、血を吸い取ったその舌先がゆっくりと指を辿り、やけに静かに言葉を紡いだ。
「でもさ、やっぱどうしても嬉しいんだ。お前が木ノ葉に帰って来たんだって、散々言ってたことが叶ったんだって。そんで、やっとずっと一緒に居られるんだって、あの頃のオレを知ってくれてる皆に言いてぇんだ」
「……お前のために、ならねぇ」
「……うん。サスケのその気持ちはスゲェありがとうだし嬉しいから、頑張って我慢する」
ちゅ、ともう一度軽く触れてから指を解放したナルトは、最近たまに見せるようになったひどく真摯な大人びた表情で、ただじっとサスケを見つめる。
それから、そんな穏やかな眼差しが見間違いみたいに、すぐにニカッといつものナルトで笑ってみせた。
「にしても!やっぱああやってサスケとケンカしたりサスケに怒鳴られたり、あとケリ入れられたりしてるとさ、木ノ葉に帰って来たな~って実感するモンだな!」
「……マゾかお前は」
それがそんなに嬉しいことか、と、サスケは呆れてしまうのだけれど、ナルトはそれすら嬉しそうにはしゃいでいる。
「あぁそれそれ!その、いかにもバカにしてるみてぇな目付きとか、完全に下らねえって言い切ってる口元とかがまさにサスケだってばよ!」
「ほんっっと、どうしようもねぇなお前」
「そんなん、サスケだってよく知ってるだろ?」
「ここ一カ月はそれを忘れられて平和だったぜ」
フン、と吐息を鳴らしたら、正座したまま精一杯背を傾けたナルトが、耳元に潜めた声を落としてきた。
「……思い出させてやるってばよ?メシ食った後は、サスケを充分食ってやっから……な?」
瞬間。
サスケの背筋には、ぞぞっと悪寒が走り抜けていた。
(どこのエロ親父だコイツは……)
寒い。はっきり言って、寒い。
ある意味正しくあの師匠譲りの言語センスが、どうしようもなく古くて寒くて居たたまれない。オレってばウマいこと言って煽っちゃった!みたいなのがミエミエなのが、また痛い(決して恥ずかしいわけではないいやもうほんとに嘘偽りなく嬉しくなんてない)。
そして非常に残念なことに、こんなうすら寒さにこそナルトが帰って来たんだなとか、ウッカリ実感してしまったではないか。
はぁ、とついつい似合わぬ溜息など吐いてしまいそうになるのを、しかし咽喉奥に押し留め、飲み込んだ。
そう。
実感したから、次は、もっとはっきり確かめたい。
「なんつってもジヨーキョーソーだもんな、たっぷりアレ食ってから……」
性懲りもなく例のイモもどきにまだこだわっているのを見逃してやって、律儀に正座したままだったその首に両腕を絡めるや、力任せに自分へと引き寄せる。
寄せた膝を蹴って、姿勢を強引に崩して。
「……なぁ、」
――――ナルト。
抑えた声で、その名を呼んで。
至近距離で瞳を交わしながら、そしてサスケは殊更ゆったりと笑んでみせた。
「……知ってるか?腹減ってる時にヤると、イイらしいぜ?」
片腕を首から滑らせ、背筋に沿って少しづつ下ろしてやる。間近に見上げる青が、応えるように瞬くのが解った。
あ、コイツって睫毛まで金色なんだな。
ふとそんなことに気が付けば、なんだかとても可笑しくて楽しくなる。
「それ。たまんねーな……」
「……まぁ。ただの俗説かもしれねえけどな」
「いや、そーじゃなくてさ」
されるがままに不自然に体勢を傾けていたナルトが両腕を付き直し、更に近く、呼吸が触れ合う距離でサスケの黒を覗き込む。
「今の、お前のその顔がたまんねぇんだってばよ、サスケ?」
いつもよりワントーン潜めた声が直接口唇を震わせれば、誘われるまま自然瞼を下ろしたくなって、そんな自分に軽い目眩を覚える。
あぁもう。
本当に。
やっぱりホントにどうしようもねぇな、コイツもオレも。
(寝かせねえにしても、寝かせてもらえねえにしても、まぁ精々頑張りやがれ)
言い忘れていたお帰り、の言葉は、重ねたキスの合間にこっそり紛れ込ませるとしよう。