たとえば、こんな一日

 

 木ノ葉に帰ったサスケはいつも真っ先に火影室を目指すのだが、それにはふたつ理由があった。
 ひとつはもちろん、火影であり何より唯一無比の相棒であるナルトへ旅の報告をするため。そしてもうひとつは、”自宅の鍵を受け取る”という実に生活感あふれる目的である。
 サスケは無頓着な性質ではなく常にきちりとしているし、幼い頃から一人で暮らしていた。鍵を失くさず持ち歩くことなんて難しくもないのだが、それにしても旅は長過ぎ環境だって厳しすぎる。ごく普通の異郷の地ならまだしも、万一異空間でポトリとしてしまったらどうするのか。回収のため再び輪廻眼を使うのもナンだし、不心得な輩に拾われ悪用される可能性は無くとも、大切な家族が住まう場所を守る重要な物質を置き去りになどしたくなかった。
 従ってサスケは鍵を持ち歩かない。優れた医療忍者である妻といまや中忍になった娘は日中ほとんど家を空けていることも知っているから、帰郷後すぐ家にも帰らない。火影室でしばらくナルトと話をして里の近況を聞き、サクラの居場所を尋ねる。そして彼女を訪いただいまとお帰りなさいを交わして、ほのかに輝くちいさな鍵を受け取るのだ。それがサスケの、旅の終わり。

   ◇

 開け放った扉の向こう、鮮やかな金色と優しい薄紅が並んでいるのは幸運だった。
「サスケェ!」
「サスケくん!!」
 それぞれの呼び方で懐かしく呼ばれれば凛と張った黒い眼も自然和らぐ。ふと身体が重く感じたのは安心したせいだろうか。なんとなくな違和感を連れそのまま数歩踏み出せば、こんもり山成す書類の向こうでナルトが勢いよく立ち上がった。
「なんか変な顔してんぞ、サスケェ!!」
「……いきなり何だ?」
「いつもと違ってブサイ……っく、サクラちゃん!?」
「私のダンナさまが不細工なわけないでしょーが!!」
 まるで時が遡ったみたいな遣り取りについ口元が緩んだ。喚いたナルトの耳をサクラが容赦なく引っ張り、痛ェってばよぉ!!と相変わらずの口癖が抵抗する。まったく、これが人生の折り返し地点も近い大の大人、しかも人の親がすることだろうか。それでもその情景は苛立ちを煽るものではなく、澄んだ光と穏やかなぬくもりで満ちている。軽い吐息で感慨を鼻先に散らせば、ムッとした青が振り仰いだ。
「だってお前、眼がおかしい。なんか濁ってるみてえな感じだ」
「そうね……少し腫れぼったいかも」
「気のせいだろう」
「それなら良いけど」
 心配げに歩み寄ったサクラが背伸びして首筋をそっと辿る。するとナルトは負けじと身を乗り出し、ごちん!と額をぶつけてきた。
「な!やっぱり、熱あるじゃねえか!!」
 労わるというより勝ち誇って指摘してくるのは、それが微熱の範疇だからだろう。自覚出来るような出来ないようなな曖昧な気だるさだが、意識を凝らしチャクラを追ったサクラはすぐに休むべきだと主張した。 
 旅の疲れもあるだろうし、夏の終わりのこの時期は暑さの澱みが出やすい頃。
「風邪は万病の元よ?長引くと良くないわ、今日はこのまま一緒に帰りましょう」
「だが、仕事があるだろう」
「一日くらいなんとかなるわよ。サラダも任務に出てるし、アナタ一人にはしたくないの」
 そう言われても、ハイそうですねとは頷き難い。普段傍にいないからこそ家族の日常を乱したくないサスケの葛藤を察したのだろうか。やがてナルトが胸を張って提案した。
「それならサスケ。今日は一日、そこで寝てろ!」

   ◇

 示されたのは火影室と壁一枚隔てた仮眠用のスペースだった。薄く開けた隙間からじぃっと様子を窺うふたつの視線にプレッシャーを与えられ、設えられたベッドに大人しく寝転がる。ナルトの背丈に合わせたのだろう大きさはサスケにもちょうど良かった。薄い夏蒲団を肩まで引き上げ瞼を閉ざしたしばし後、ようやく扉が閉まって気配は遠ざかる。まったく、いつまで経ってもナルトとサクラは相変わらずだ。相変わらずで、だから変わらず大切だった。
 あうんの門をくぐった時には朝靄が残っていたが、忍里はそろそろ本格的に動き出す刻限。眠りやすいようにと引いてくれた厚いカーテンでも生まれたての太陽は覆いきれず、窓の外からは活気に満ちたざわめきも届く。やがて隣室にはシカマルが出勤し、七代目火影と朝のミーティングを行っている様子だ。
『来年度の収支計画は今日の会議で決定させる。あとは最近流行りのコンプライアンス研修とやらの件。風影から親書も届いてたな。それからアカデミーの老朽化についてだが、それはお前の意見も参考に最大限今の施設を活かす方向で打ち合わせを……』
『前ほどじゃなくても、カリキュラムをもちっと実戦に寄せるってあの話はどうなった?』
『それも合わせてしようと思ってる。だから今日はシノにも参加してもらって、』
 漏れ聞く話には耳慣れない単語も混じる。式典への出席やマスコミ対応に関する検討も続いて、やはり多忙を極めているらしい。影分身を駆使してもまだまだ足りないのだろう。入室を求める声がする度会話は途切れ、誰かが現れ去ってはまた扉が開く。
(それにしても、ずいぶん堅実な働きぶりだな)
 こちらにまで響くテンポの良いリズムはキーボードを打つ音だろう。これも頼む、と請われているのは火影の決裁印か。
 それは幼い頃、彼がなりたいとイメージしていた里長の姿とは異なっているのかもしれない。乱闘の先陣を切って敵を圧倒し、誰かを救う。その役割を最も果たしていたのはもしかしたら十代のあの頃で、七代目の外套を翻したその時、世界は既に安定へと落ち着きつつあった。そしてそれこそが何より得難く尊いものだとナルトは知っている。だからこうして、真摯に尽しているのだろう。少年の日に思い描いた火影という存在、皆に認められるカッコ良いヒーローとは違っていても、安寧を護り未来へ繋ぐ存在であろうと努めている。
 報告にやって来る忍たちを労い時に叱咤する。これから任務に就く者は激励し注意を促す。ふぅ、と時に疲れた吐息を漏らしながら書類を繰ってまた印を押し、忙しくキーボードを叩く。

(あぁ、そうか)
(お前はいつも、こんな風に過ごしているんだな……ナルト)

 昼過ぎには慌ただしくサクラがやって来て、大きなお握りと温かい味噌汁を差し入れてくれた。本当はもっと、ちゃんとしたお弁当にしたかったんだけど、と申し訳なさそうな彼女はやはり今日も忙しいらしい。ベッドに並んで腰かけて、午前中は若い医療忍者への講義が詰まっていたこと、午後からは古傷に苦しむ老いた忍たちのリハビリのため里を回るのだという話を聞く。木ノ葉に留まっている時にはこういう会話も珍しくないが、それでも白衣を纏い職場の緊張感を保ったサクラが新鮮に映った。さっきナルトを思ったように彼女の毎日も初めて感じられたような気がして、何故だかそれが嬉しかった。
(風邪を引くのも、悪いことばかりではないな)
 添えられていたウサギ林檎をゆっくりと噛み締めれば、見舞いに現れたナルトがちゃっかりひとつ、つまみ食いして去っていった。

   ◇

『じゃぁな父ちゃ……じゃないや七代目!』
『おぅ!母ちゃんが心配するから真っすぐ家に帰るんだぞ!!』
『そうだよボルト、ハンバーガーじゃ大きくなれないんだからね!』
 賑やかな声が遠ざかっていくのを合図に、延べた身体をゆっくりと起こした。腹が満たされた後どうやらひと眠りしてしまったらしい。馴染んだ気配に気が付いて眼を開けた時には、周囲を柔らかな橙が満たしていた。
「元気になったか、サスケ?」 
 ノックも無しに仮眠室の扉を開けたナルトに軽く頷いてみせ、それから窓を開け放つ。涼しい夕風が心地良く吹き込んで、黒髪と金髪を優しく擽り撫でていった。日中騒がしかった蝉たちの大合唱も今は種類を変え、遠くからどこかもの哀しく夏の終わりを知らせている。
「カナカナ蝉、鳴いてんな」
「蜩だろう」
「カナカナの方が可愛いじゃねーか」
「蜩の方が季節に合う響きだ」
 瞬間、馬鹿みたいに意地を張り合って、それから揃って吹き出した。まったく本当に相変わらずだ。サクラもナルトも、そして自分も。窓の外、夕暮れ道を競うように駆け抜けていくこどもたちと同じ年頃だったあの日から、たくさん変わってやっぱり変わっていない。
 だからサスケは笑う。今日は一日退屈だったろ?と問うナルトに、謎掛けみたいに微笑むのだ。
 退屈どころか、なかなか面白い一日だった。
「オレはきっと、今日のことを一生忘れないぞ……ナルト」

 そしてまた旅は始まる。それでもまだ旅は続くけれど、ひとりの時間も今日という日が暖めてくれるだろう。
 大切な仲間たちが静かな戦いで支え守るこの世界を、自分だってきっとずっと、守ってみせる。離れていても結ぶ心と寄り添いながら未来を紡いで、そしていつかあの子たちに、この儚くも美しい世界を誇りを持って手渡すのだ。

 

 

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以下、あとがきもどき。

劇的な出来事ではなく何気ない日々を知ることで相手に対する理解が深まる、そんな感じのじんわりした世界を目指したような気がします。

また、地味なこだわり…というか書く側の愉しみとして「なるべく季節を合わせる」というものがありますので(たとえば「タガタメ」は7月の発行ですので本編のラストは夏の情景、1月発行の「北極星が見えなくても」の締めくくりは冬のお話です)、開催が夏の終わり=蝉しぐれに関するやり取りを入れました。

タイトルふくめ自分でも好きな一編で、書くうちに(そういえば子どもの頃、「念のため学校は休もうね」程度の熱の時にウトウトしながら家族の動きが聞こえるのは面白かったなぁ)と思い出したりしたのですが、読んでくれた友人が「小さい頃を思い出したよ!」と似た体験を教えてくれて、それもとても嬉しかったです。