秘密 ※R18

 甘やかな苦痛、軋んで嵩む歓びを知ったその時。
 記憶は目を覚まし背徳の欲望は看過を拒んだ。

     ◇

「……イタチってさ」
 唐突な名前ににわか、か細くかん高い糸が張りつめた。
「イタチって。やっぱ、とんでもねえヤツだよな」
 カットが美しい透明グラス。醒ます冷や水をむやみと反射させながらずいぶんと掠れた声で、ナルトは語る。
「だってさぁ。たとえ話じゃなくほんと真実そのとおりに、マジでお前とうちはを大事な一族を天秤に掛けてそんでもお前を、選んだんだ」

 やっぱ敵わねえよ。お前の、兄貴には。

 それは独りごとだろうと、サスケは背中で聞き流す。
 何があった? 問うまでもなく確かめるまでもなく、「何かあった」に違いないから濡れた髪を黙って拭いて、言い聞かせた。独りごとだ彼は今夜、酔っているのだ。
 先の大戦後、定期的に設けられることとなった五影会談は本日を以って終了した。今回は木ノ葉が議場となり、ナルトももちろん参加していた。赤いほむらを刻んだ証の羽織は今、素っ気ないこのリビングのありふれたそこの椅子に、くたんと引っかかっている。いつしかすっかり見慣れたもの、あたりまえの日常だった。

(のどが渇いた)
(オレも水を)

 真っ白なタオルをかぶり視界を狭くうす暗くする。そのままで傍をすり抜けようとするもいっそう低くなった声は重力と化してつま先を阻んだ。サスケ。眇める眼に映す青がアルコールにじっとりと、澱んでいる。
「あのさ。もし。ほんとに本当のもしも、なんだけど」
 怖れるように紡がれる先が届いてしまう前にと、サスケは言葉どおりで口封じを架した。ほのかに開いたくちびるでやわらかに誘い返らぬ応えにいら立って、歯をあてて舐めては強請る。
 そうすれば、さすがにナルトも食んできた。しかしどこか心あらず、いつもなら辟易するほどストレートに表す情欲もらしくなくためらっていて、あいまいな温度のまま。
 だから貪る。舌まで捧げて吐息ごと奪わせ、攪拌した唾液を分け合うと接触した粘膜がうねってうなじから細やかなふるえが奔る。あぁ、

(そうだ)
(それでいいんだ、ナルト)

 たくらんだキスをこちらから一方的に解除しくちびるの狭間、ひとことだけ触れた。
「気にするな」
「でもさサスケ。だからほんっとの本当に、あり得ねえ話なんだ。でも万一、」
「あぁ分かってる。気にすんな」
「イヤ万が一っていうか億が一?そんくらいぜってーのもしも、なんだけどさ」
 なのに彼は言いつのる。火影ではなく三十路近くの大人でもなく、聞かん坊なただのナルトに戻ったように黙っちゃくれないのだ。そしてサスケはいつも、そんなナルトにこそたまらない愛おしさを覚えていた。奇妙な安堵で満たされていた。
「なぁ、サスケ。もしも。もしもオレが、そうなったら」
「うっせーぞ、酔っぱらいめ」
 殴る替わりに揺らぐ金色を抱きしめる。あぁそうだ、酔っぱらいだ。こっちは風呂上がりで洗濯づかれしたスウェット姿でタオルまで被っていて、向こうは大きな仕事を片づけた打ち上げで少々飲み過ぎた、ただの酔っぱらい。
 いい歳した男が二人じゃれ合って、本当に、馬鹿げた一幕だなと思う。しかしそんなことでも少しの慰めになるのか、伝わる硬さは少しづつ肌へ溶け込んでいった。そしてじわじわ、熱の先触れが滲みてくる。
 背骨にすがった両腕がゆったりと巡って辿り、腰骨の位置へ這っていく。ふたたびのキスはねっとりと愉しむものだった。
「酒が抜けたなら、風呂行ってこい」
「……うん」
「部屋、暖めとくから」
 拘束からするりと抜ければ何に対してなのか、ナルトは律儀にあんがと、と笑った。

     ◇

 もし本当に。
 本当に、本当のもしも、だが。
 万が一だが起こり得ないことだが。

『なぁ、サスケ』
『もしも。もしもオレが、そうなったら』

(もしも、ナルトがイタチと同じ選択を迫られたら)
(もしも、木ノ葉とオレとを天秤に掛けることになったら?)

 有り得ないことではないと、サスケは思う。
 そうだ。もしもだろうと万が一だろうと億が一であっても、起こりえない有りえないと言ったところで結局は、“有る”“起こる”という可能性は存在するのだ。
 この世の事象は有りか無しかという二択でしかなくパーセンテージなど問題ではない。夜に太陽が昇ることはなくとも太陽が消える可能性はゼロではない。そしてナルトなら、もしも太陽が消えると知ったら一人でも多くを救おうとするだろう。
 少年の頃ならば太陽そのものを取り戻そうと走り回ったかもしれない。だが今のナルトなら木ノ葉の皆や他の里、国とも話し合いをして対策を練り、冷静に対処していくはずだ。
 火影となったナルトはあれもこれもと欲しがっていた貪欲を制御し理性と現実で選択する術を覚えた。彼はもう、無謀は無理やりで叶わないのだと知っている。そして天秤を正しく使うことも出来るだろう、それこそが束ねる者の条件であり逃れられぬ絶対の責任であるのだから。
 サスケはそれで良いのだと思う。ぜってー火影になる!と幼い頃から願い続けてきたのだ。そのはずが下らない私情なんかで判断を誤り愚かな里長として歴史に悪名を刻むとあっては本人も不本意だろうし巻き込まれるサスケとしても正直、たまったものではない。そうだ、

『抜け忍の犯罪者がどうしてまだ、生きている?』
『よっぽど具合がいいんだろうよ』
『囲われ者。火影の雌犬が』

 うちはが火影を誑かした。などとこれ以上嗤われるなんて、冗談じゃない。

(だから)
(その時が来たら、お前は迷わずオレの手を離せばいい)

 なまぬるい風を受けながらサスケはぼんやりと考える。ナルトは必ず、優れた里長として名を遺す。木ノ葉や忍び里という部分ではなく世界そのものの安寧を目指し、大きな志を叶えた火影であったと。
 四代目火影も自身と妻、息子のみを優先するのではなく家族みなで苦難を背負い里を護った。英雄と呼ばれたその血をナルトは継いでいる。
 ならばサスケが継いだ血は。この血が如何なるものかこの血で繋がる者が誰かを、知っているのに。

「サスケ」

 とびらが開いて声が呼ぶからサスケはふわりとほほ笑んだ。真正面に呼びかえすのは偽りなく求めている証拠だ。
「ナルト」
 照明を落とし掛ふとんを剥ぐ。サイドボードに揃えた避妊具と潤滑剤で行為はスムーズに進むはずだが、少しでも早く這入って欲しくてインナーを下ろして指であやし、口いっぱいでナルトをしゃぶった。
 味わいが伝播するのか、硬く反って先走りを垂らした己の雄を羞恥のかけらもなくシーツにこすりつける。そうしたら気持ちよくなれるのだとナルトが言った。脚の拡げ方も腰の上げ方も、受け入れる呼吸もナルトが教えた。揺らされながらきゅうきゅうと粘膜を絞るやり方まで、すべて。
「ソコ、そこイイ……。んぁッ、あ、もっ……と!」
 甘やかな苦痛、軋んで嵩む歓びは抱かれるごと深くなる。そしてその度、あの記憶が目を覚まし背徳の欲望は看過を拒んで禁忌の幻想をちらつかせるのだ。何かにすり替えまくらを握る。
「愛、してるから。何があっても」
「あ、ぁ……。しってる」

(兄さんなら)
(兄さんならどんな手つきでオレを抱いただろう)
(兄さんならどんな風に見つめてどんなにオレを、愛しただろう)

     ◇

 その刹那。
 ひかりと成って旅立つ寸前やわらかいものが確かに、くちびるに触れた。
 仮のうつわではなくたましいの真が、意味問えぬ口づけを遺して去った。

*** * *** * *** * *** * *** * *** * *** * *** * ***

以下、あとがきもどき。

サスケが木ノ葉に帰って来るとして。
木ノ葉で「木ノ葉の忍」として生きることが果たしてサスケの幸せなんだろうか。
サスケ自身が呑み込んだとしてもナルトはそれで嬉しいのか?

みたいなことを延々考えていた頃のお話ですが、読み返すとその他にも色んな要素がとっ散らかっています。

(うちは兄弟、実はキスくらいしてたんじゃ?)については単純に、591話の冒頭、イタチの背中が描かれたコマきっかけの妄想です。
「愛情表現の一つとしてセックスを知る」「肉体の繋がりを体験する」ことによって記憶違いかもと思っていた一瞬が生身の温度で蘇り、ナルトのことはもちろん好きだけどどうしてもイタチを想ってしまう。いつでも棄ててくれと覚悟を持ちつつ「兄さんなら」と考えてしまう、比較ではなく嘘を吐いているわけでもなく、どちらも大切だけど大切だから二つの気持ちの間で揺らいでいるようなサスケを書きたかったんじゃないかと。

そして当時から「火影の雌犬」という言葉がとても好きでした、こんな風に蔑まれているスケかわいそ可愛い。

火影の立場(責任)とサスケ(うちは)を天秤に掛ける云々という点では『いえずの言ノ葉』の原型とも言えます。
それにしても、原作のサスケが木ノ葉の枠から外れあの生き方を選んでナルトと並び立ってくれたことが心底に嬉しいです。