白、紅色。
もも、きいろ、オレンジ。
高く澄んだ空の下、色とりどりのコスモスが風に揺れている。
青に映える色彩に誘われ寄り道の足を小高い丘に向けてみれば、見知った後ろ姿がぽつんと一人、ススキの穂に埋もれ座っていた。
俯いているかと思えばややあって姿勢を伸ばし、何やらじっと眺めてから、また視線を下ろす。その手が繊細に動いているのを見て、あぁそっか。と気がついた。
「よ、サイ」
呼びかけついで、ぽんっと肩を叩けば触れた位置が微かな強張りを持った後、やがて緩やかに緊張を解く。
「あぁ。ナルト」
びっくりした、と言いながらしかし驚いた様子は見せず、にこり、という言葉そのものの笑みで振りかえる。とはいえその目はごく自然に和らいでいたから、以前のような作り物めいた冷たい印象はあまり感じない。
手元にはやはりスケッチブックが広げられており、ひょいと覗き込んで見れば、秋の景色と時間がそっくりそのまま、綺麗に切り取られていた。
「写生してんの?しっかし、ホント上手いよなぁお前……」
精巧に描かれたそれに、素直に感嘆のため息が零れた。さざ波のような細かなカーブで縁取られた花弁も針金細工みたいな細い葉も百科事典に載った写真みたいに間違いは無いし、濃い黄色で盛り上がった花粉の様子もリアルだ。背景になった夏草の枯れかけた感じとか、それが風に吹かれていると解る微かな動きみたいなものまで伝わってくる。
構図の奥にはそこだけ違った質感の、薄茶色の物体が描かれている。お?と思って視線を紙から外し眺めてみれば、少し離れた陽だまりで一匹の猫がのびのびと寝そべっていた。
「あぁ、日向ぼっこしてんのかアイツ。なんかすっげー、気持ち良さそうだってばよ」
「そうだね。たまに尻尾で虫を追い払ったりはしているけど、目は閉じたまんまなんだよ。それからさっきは、居眠りしてガクッてなって、慌ててその辺をキョロキョロしてた」
「ははっ、なんか人間みてーだな」
「そうだね。まるで、ややこしい任務計画を説明されている時の君みたいだったよ。すごく間抜けで」
長閑な会話を楽しんでいたら、のんびりとした雰囲気をそのままに歯に衣着せぬオチが付けられた。相変わらずだってばよ、と口元がつい、ヒクリと歪む。
「それで?君は、任務明けかい?」
「いや、ちょっと買い物行ってて、その帰り」
そう、と穏やかに頷きながら滑らせていた茶の色鉛筆をケースに戻し、今度は赤を手に取る。コスモスかな、と思って眺めていたら、毛並みを数度、軽くなぞった。ぱっと見は白にも見える、ごく薄い茶色のふわふわした猫だったけれど、ほのかな赤が滲んだ途端、文字通り血が通ったように生き生きとした姿になる。ぴょんと立った耳の内へも淡く色を乗せてから、黒に持ち替え背中を辿って、尻尾の先へと細やかに流していく。
サイが絵を趣味にしていることは知っていたが、こうして実際に描くところを見るのは初めてだ。鉛筆の先に写される物が着々と本当に近づいていくのが面白くて、そのまま絵と、微睡む猫とを交互に観察していたら、ぽん、と視界にボールが跳ねた。
続けて、遠くから幼い歓声と足音が駆け寄って来る。それを機に一度手を止めたサイが、ふと顔を上げた。
「そういえば、君の気配の消し方は変だよね」
そしていきなりそんなことを言い出すから、またも口と、今度は頬まで引き攣った。
下手ならまだしも変とは何だ。いやもちろん、下手と評価されればそれはそれで忍としてはかなり恥ずかしいのだが。
「サイ……。お前ってばやっぱりなんつか、ちょーっとムカつく言い方するよな」
「あぁごめん。別に、貶しているわけじゃないよ」
そしてまたにっこりと笑ってみせるけれど完璧さゆえにやはりどうにも、胡散臭い。ついついじとっとスネてしまったら、少々慌てて彼は続けた。
「えっと、何て言うのかな……。ホラ、例えばカカシ先生なら、気配はそこから完全に絶たれて無くなる」
「……そりゃ、気配消すんだから無くなって当たり前だってばよ。ていうか、カカシ先生を例に出すなよ」
お前はオレを超えているよ、と讃えてくれるカカシではあるが、細やかな術やそれを遣うべきタイミング、その組み立てにおいて等、まだまだ追いついてなんかいないと自覚しているナルトである。ますます分が悪い展開に、これはやっぱりヘコむ結論が来るなと口唇も尖らせてしまえば、サイはいかにも申し訳なさそうに考え考え、しかし、更なる追い討ちを言い募ってくる。
「違うんだ、カカシ先生を褒めているわけじゃなくて……。いや、あの人の気配の消し方は完璧だし、君と違っていきなりとんでもないことを言い出したり、突っ走ったりなんかして仲間がフォローに困るなんてことは決してしないし。やっぱりすごい人だって思うけど」
「ンなことオレだってじゅーぶん、解ってるってばよ……」
緩い傾斜を転がり落ちるボールを子供たちが追いかけて行く。その内の一人、赤いリボンを風にそよがせていた女の子が猫を見付けて、嬉しそうに駆け寄った。
しかしあまりに元気いっぱいだったせいだろうか。猫は驚き身を起こしてひょいと地を蹴ると、素っ気無くススキの向こうへと退散してしまった。小さな肩が、遠目にも解る位にしょぼん、と落される。
「……あぁ。えぇっと、だからカカシ先生の話じゃなくてね」
それを見つめて少しの間言葉を途切らせていたサイは色鉛筆を置くと、腰元から俄かに、いつもの例の巻物を取り出した。
サッと広げて今度は筆を握り、瞬く間にひとつの絵を描き上げる。滑らかに印が結ばれ飛び出したのは小さな猫だ。白い霞を払うようにふるりと一度墨の毛並みを揺らしてから、軽やかに丘を駆け下って行く。
術者の意を汲んだみたいに女の子の足元へ寄り添い、やがて跳ね回り出したその姿を見れば、さっきまでのふくれっ面などあっと言う間に解消した。はしゃいだ声も聞こえてきて、ナルトも思わず笑顔になる。あぁ、サイってやっぱ、いい奴だよな。彼の優しさがとても嬉しい。
太陽の温もりの中を爽やかな大気が心地良く通り抜け、風がさぁ……っと野を渡る。
ススキの穂が柔らかに震える。白の、紅色の、ももの、きいろの、オレンジのコスモスが等しく揺れながら、それぞれの色を鮮やかに主張している。ボールを投げ合い、サイの描いた猫と戯れる子供たちの賑やかな笑い声が、晴れた空に響いて吸い込まれていく。
そんな穏やかな光景に見入っていたら、やがてサイが静かに言葉を紡いだ。
「……そう。だから君は、違うんだよ」
逆光に立つ自分が眩しいのだろうか、少し細めた目で見上げて来て。
「ナルトの気配はね。その場所にそのまま馴染むというか、溶け込む感じなんだ」
「溶け込む?」
「うん……。そうだね」
何て言ったらいいのかな。と、視線がスケッチブックへ戻される。白い指先が描いた風景をとても大切そうに辿った。
「ボクは元々あまり風景画は描かなくて、スケッチを始めたのも実は最近なんだけど。でも、こんな風に景色を見ながらずっと絵を描いていると、だんだん周囲との境目が曖昧になっていって。そのうち自分が、世界の一部になったように思える時があるんだ」
「それってばつまり。夢中になってるとか、ものすごく集中してる!ってことか?」
「いや、集中とは、少し違う……のかな?」
思わず首を傾げたら、サイも同じように首を傾げている。それからまたこちらを振り返り、整った口元をそっと綻ばせた。
「あの感覚を何て言えばいいのかはよく解らないけれど……だけどとにかく、その時の空気と、君から感じるものが何故だかとても近いんだ。気配が急に消えて無くなるんじゃなくて、普通に、当たり前みたいに周りとそのままひとつになる感じで、すごく気持ちいいんだ」
ひとつになる、という言葉に、かつて小さなカエルの師匠から教わったことを思い出した。
自然と一体になるには、そしてそのエネルギーを感じ取って取り込むためには、とにかく『動くな!』と厳しい修行を課せられたものだが、しかし今、自身の気配という点でもその‘一体になる’ことが無意識に活かされているのだとしたら、ちょっと嬉しい。
なんだか褒められたような気がしてへへっと頬を掻けば、見上げてくる眼差しがより柔らかなものになる。緩いカーブを描く唇はまだどこかぎこちなかったけれど、それもとても彼らしくて、余計嬉しかった。
「ところで。買い物って言う割には、荷物が無いね」
不思議そうに首を捻られるのにボトムのポケットをぽんっと、叩いてみせる。
「ちっちぇモンだからな。ココに入ってんだ」
「へぇ……」
余韻のある呟きからは、(いったい何だろう?)という関心が感じられたが笑ってごまかす。
でもやはり、何かは悟られたのだろう。
じゃあなと手を振って別れたら、彼によろしくね……と、ほんの少し意地悪な声が見送ってくれた。
◇
表まで帰るのが面倒で、塀を飛び越え庭へ降り立つ。
どうせ用があるのはココなんだからいいか、と軽い気持ちでそうしたのだけれど、地に足が着いた途端、ぴしゃりと咎められた。
「ちゃんと玄関から入って来い。焼くぞ」
物騒な台詞は実行出来る能力があるためにある意味、冗談ではないのだが、そんなことなど慣れたものだ。
「別にいいだろー?いちいち靴持って縁側に回んのなんか、時間の無駄だってばよ」
気にも留めずに歩を進め室内を覗き込んだら、おっかなく睨んでくる眼と真正面からぶつかった。微かな舌打ちも聞こえたけれど、そんなのちっとも、怖くなんてない。
「……遅かったな」
「あぁ、いのん所でオヤジさんに捕まって、グチとかいろいろ聞かされてさ。あと、ちょっと寄り道もしちまって……。悪ぃサスケ、気にしてくれてたか?」
「……別に」
どうしてオレがお前を心配しなきゃならねえ。その表情がありありと語っている。日当たりの良い畳の上に胡坐を組んで巻物を広げながら、だけど気配はほんのちょっとだけ不機嫌そうだなぁ。なんて思ってしまうのは、思い込みとかカン違いだろうか。
確かめたくて、つい、黒い眼を見つめてしまう。そうすればサスケもじっと、見返してくる。
いつだって不器用なまでにひどく真っ直ぐな眼差しに、何かを言いたい気持ちが込み上げてくる。
胸を突くのは衝動のような感情。でも何を言ったらいいのか、どう言えばいいのか、いや、そもそもどんな言葉を言いたいのかも解らないのだ。
それでも捕まえた眼差しを離したくなくて重ね続けていれば、やがてつれなく逸らされて、無言に戻って落とされた。手元に集中する素振りになったから、不可解な自分を持て余しつつナルトも黙って、広い庭の片隅へと足を向ける。
二年以上に渡る牢への投獄を経て、サスケがこのうちはの実家での軟禁を処されたのはこの春の終わりごろ。長い間誰も住まなかった家は当然傷んでずいぶん汚れていたけれど、元の造りが良かったのだろう。影分身を駆使して掃除と修繕に明け暮れた数日後にはかつての通り……とまではいかないだろうが、なかなかに風情ある趣きを取り戻していた。
すくすく育った雑草で覆われていたこの庭も、彼が火遁で見事一瞬、一掃してしまった。綺麗に焼け落ちた灰を各所に梳き込み、土を整えたのは自分だ。数週間前には石灰も施しておいた。
うん。準備はカンペキのはずだ。
(ぜってー、大丈夫だってばよ)
ポケットから取り出した小さな包みを祈るかたちで両手に挟んで、封を切る。今朝がた作った畝の前に屈んで、やわこい土に人差し指でささやかな窪みを幾つも刻んだ。確か、発芽率が良い種だと言っていた。無精せず一粒一粒、大切に埋めなくてはいけない。
「今から種播きなんかして、大丈夫なのか?」
単調な作業をだが弾む気持ちで続けていれば、訝る声が背中から投げられる。無関心なようでいて、こちらの動きを気にするらしい。まぁ、それももしかしたら彼お得意の気まぐれってやつなのかもしれないけれど、それでも嬉しい。
「おぅ!秋植えでって、いのにちゃんと頼んだからな!」
「秋植え?これから寒くなんのにか?」
「だからその、寒くなるってのが重要なんだってばよ」
そうか。と頷く片や、不審そうな響きが信じられねえ……を隠せていない。小さな種に優しく土を被せながら、こっそり笑った。
「それにこれ、宿根草って種類で一度だけじゃなく何回も咲くんだってさ」
地表に出た部分は冬には枯れるが、根はちゃんと残るらしい。そして、何年にも渡って花開くのだと言っていた。
どんなのが咲くんだ?とまた問うてくるのに、咲いてからのお楽しみだってばよ!と、ひとつ、秘密を作る。手を払い立ち上がった。
「そうだサスケ。如雨露ってあるか?」
「如雨露?覚えてねえが、あるなら物入れに入ってるだろう。無ければバケツでも使え」
軒先を回った先を指し示されて、あぁそうか、と思い出す。確か、縦に長い物置きみたいなのが壁に貼り付いていたはずだ。彼がホウキやなんやらを引っ張り出していた覚えがある。
向かうついでに縁側の奥をチラリと窺えば、その興味は巻物の上へ戻っている。静かに文字を追う横顔の真剣さに、またあの胸を突く感覚が押し寄せてきた。あぁもう、何て言うか。いや、何て言ったらいいんだろう?こんな感じを。
(わかんねえ)
違う。
わかりかけている。
だけどわかったところで、どうすればいいのか、どうしたいのかなんていう答えは出ない。出せない。
(……出したくねえ)
だってまだ自分でも、上手く飲み込めていない。そして答えを出すことで崩れてしまうだろうものが、どうしても失い難いのだ。
だからこの感覚に、この感情に名前を付けて認めることが、怖くてたまらない。
行ったり来たり、揺れてまどって積み重なる想いを散らかすように物入れを引っ掻きまわし、やがて見付けたブリキの如雨露はとても小さかった。取っ手を握ればかなり窮屈だからおそらく、子供用なのだろう。そういえばと、彼の意外な好物を思い出した。なかなか一番には挙がらないものだから、もしかしたら、家庭菜園でも作っていたのかもしれない。兄と手伝って、一緒に水遣りなんかしていたのだろうか。
そんな光景を想像してみればなんだか胸が暖かくなって、それからきゅっと、哀しくなった。
小さな如雨露を土の上へと傾ける。水滴が日差しにキラキラと輝いて、種を宿した地中へと滲んで吸い込まれていく。あまり水が入らないから、何度も水道へ往復してたっぷりと注いだ。一つでも多く芽吹いて、無事に育てばいいなと思う。
植物を育てることは元々好きだったが、それでもこうまで楽しいと感じたことは無かった。小さな息吹を側に置きたかったのは、たぶん、ひとりぼっちが淋しかったせいだ。
だから今こんなにもワクワクしているのは、手間をかけ愛情を持って育てた先に、それを見せたい、一緒に見たい誰かが、サスケがいてくれるからだ。
大きくなって、たくさん元気に咲いてくれるといいけど。
そしてほんのちょっとだけでもいいから、喜んでくれたら嬉しいのだけれど。
「……あのさ、サスケ」
この花な。と、さっき伝えなかった秋植えのポイントを説こうと振り返ったナルトは、しかしそこで、思いがけず目を疑った。
道理でさっきから、集中しているはずの気配が薄らいでいたわけだ。
せっかく教えてやろうと思ったのに何だよ……としおれた気分になりながら、足音を忍ばせ縁側へ歩み寄る。巻物は広げたまま、ころりと転がった姿を見つけると、あぁまたか……。とひどく痛くて、切なくて。
「お前さぁ。声掛けても気付かねえとか、それでも忍かよ?」
幼い頃の意趣返しを小さく呟き、静かな寝息を立てる彼をそっと見つめた。
近ごろ。サスケはこんな風にして、唐突な眠りに落ちる。
監視役とはいえ今まで通りに任務をこなすナルトは夜と非番の日にしか一緒じゃないから、毎日なのか常になのかは解らない。だがとりあえず、知る範囲ではそうだ。
昼寝というよりそりゃ普通の睡眠だろ……と言いたい長さで午後を寝て過ごしていることもあるし、夜は夜で、風呂から上がればさっさと自室に引っ込んでまた眠りに就いてしまう。普通の時間に起きてはくるが朝飯を食べた後、ソファで昼まで転寝していることすらあるのだ。
それで、いくらなんでもこれは寝過ぎじゃないか、もしかしたら何か変な病気じゃないのかと気になってサクラに相談したのだが、聡明な彼女は少し考えた後で、こんな結論を出した。
『食欲はあるし起きている時の意識は明瞭。それに、顔色も悪くないんでしょ?』
『だったら……。ただそれを、サスケくんの身体と心が求めてるんだと思う』
もしかしたら長い間、ぐっすり眠れることなんて無かったんじゃないかな。
その分を、無意識に取り戻そうとしているんじゃないかしら。
『だからね、ナルト。お願い、アンタがそれを守ってあげてね』
優しくけぶる綺麗な翡翠を微笑ませてそう言ってくれたけれど、だけどなんだか、それでも不安で。
『でもさぁサクラちゃん。アイツってば、ホント急に寝ちまうんだぞ?』
この前もさ、ちょっと書庫まで忍術書取りに行ってくるって言うから付き合ったんだけど。棚と棚の間で一緒に巻物見てたら途中でウンともスンとも言わなくなって、アレって思ったら寝落ちしてやがってさ。周りにいっぱい古文書積んだ状態で、爆睡してんだってばよ……
つい切々と訴えたら、初恋の少女はうす桃色の髪を揺らして吹き出していた。
『えぇ?!なんだか猫みたいね、サスケくん』
そしてやたらと上機嫌になり、やだ!それってすっごく可愛い!!とまで言い出すものだから、正直わけが分からなかった。
猫とサスケ。全然ちっとも、似ていないではないか。
ナルトにとって猫といえば小さくて可愛い生物だったから、サスケとなんてどうしても結びつかない。あの恐ろしく傲慢かつ高過ぎるプライドと、がちがちの強がりで身を固めた彼に、可愛らしさなんてほんの一欠片もあるものか。強烈な存在感と圧倒的な闘い方からしても、鷹とか狼とか、猫科なら虎とか豹とか、とにかくそういった猛禽猛獣に属するヤツだと思う。
そういえば下忍の頃、妙な任務で猫耳を模した輪っかを被ったことがあったが、彼はあまり似合っていなかったような気がするし。と言っても、あの時の自分は白いふわふわの耳を付けたサクラがあまりにも可愛くてドキドキしていたから、サスケの姿など実はそんなに覚えていないのだが。
『猫ってね。きれいに整頓された所より、ちょっと散らかってる方が気持ち良くて寝やすいんだって。でも、そうじゃなくてもサスケくんは絶対、猫っぽいわよ!』
力強く解説され主張されてもいまいち納得出来なくて、女の子ってよくわかんねーこと考えるよなぁ。と、不思議に思っていたのだけど。
柔らかな陽射しの中、彼が微かに身じろいで、軽く背を丸める。
それでも目覚める様子は無く、いかにも心地良さそうにひたすら微睡むその様をしげしげと眺めていれば、ふとそこに、さっきサイと見た日だまりの猫が重った。
そうすれば、急にサクラに賛成したい気分になる。あぁそうか。確かにコイツってば、ちょっと猫っぽいかもしれねぇ!
そう、無駄に愛嬌を振り撒かないところとか気位の高さとか、加えてあの見事な気まぐれっぷりといえば、まさに猫そのものではないだろうか。激昂して急にキレる姿すら、ふーッと毛を逆立てた姿に思えてくる。
笑いたくなるのを堪えていたら、ん……と微かな声を漏らしながらサスケが寝返りを打った。やべぇ気付かれたか、と瞬間慌てたものの、それでも起きる素振りは無いのにホッとする。
しかし彼はまた身を屈めて両腕で身体を抱える姿勢になったから、寒いんだな……と気が付いた。そういえば、夕方に近づいたせいか吹く風が少し冷たくなったようだ。縁側に上がり、起こさないよう気をつけながら靴を脱ぐ。ちょっと考えて、上着も脱いだ。
着慣れたいつものトラックジャケットは太陽の光に温められて、ほんのりとした熱を保っている。息をひそめて膝で畳を滑り、注意深く距離を詰めてから、オレンジと黒のツートンカラーでサスケの身体をそっと包んだ。
細い眉が震えてまぶたがゆっくりと持ち上がる。そして現れた双眸がこちらを捉えれば、どくり、と大きく鼓動が跳ねた。傾いた太陽が投げる赤と橙の光が、まるで小さな炎のように黒に揺らめき宿っている。ぼんやりと見上げてくるその眼を、絡む視線を離せない。
小さく開いた口唇が、寝息のような、吐息のようなひそやかさで一つ、言葉を紡いだ。
――― ナルト。
ここには自分しかいないのに、それでも確かめるみたいに呼んでくるのに、ぎゅっと胸が締めつけられる。ますますどきどきと鼓動が昂り血がざわめいて、やがて心に大きなかたまりを作った。ひどく柔らかであたたかなものがかたまりから広がり、指の先まで染み通っていく。嬉しくて切なくて、ただもう、どうしようもないとしか言えない感情がゆっくり静かに、身体じゅうを満たした。
「サスケ」
たった一つで応えれば、じっと見つめる眼差しが深く冴える。
たぶん今、彼は微睡んでなどいない。だから、覚醒しているその眼に言いたい。どうしようもないこの想いを、叫んでぶちまけたい。
なぁ。
なんで、そんな声でオレを呼んでくれんの?こんなにオレを見てくれんの?
なぁサスケ。お前、今、何考えてる?
なぁ、気付いてくれ。
(オレは。お前が……)
言い掛けた言葉をしかしナルトは慌てて閉ざし、伝えたい気持ちをぐっと噛み締める。
駄目だ。こんなこと言っちまったら、あんなに頑張って必死になって手に入れた今が、全部壊れて無くなっちまう。
そうだ、自分は気付いているのだ。共に過ごす時間の中で、些細なことにつま先から痺れみたいなものが奔ってぞくりとなったり、それが言い訳出来ない熱へと繋がってしまう意味とか。そうじゃなくて、こんな風にただ無性に甘く苦しくて、そしてあったかい気持ちになる理由を、そういう感情をなんて呼べばいいのかなんてこと、もうとっくに気がついて、解っている。
だけど、だからどうしようもないのだ。
身の裡から湧きあがって突きやぶってしまいそうな、渦巻く想いをなんとか留めて畳の上に転がった。
首を巡らせ並んで横たわった表情を窺えば、その口唇がかすか開きかけているのを知る。間近で黒がゆっくりと瞬く。言葉も無く、そのままの姿勢でしばらく互いを映していたけれど、やがて彼はふっと息を吐いて力を抜き、再びまぶたを閉ざした。
はかなげな吐息が規則正しいものへと整っていくのを待つ合間に、守ってあげてね……という、サクラの言葉がよぎる。
守る必要なんて無いと思っていた。
だって、サスケは強いから。忍として稀有な能力を持っているということだけではなく、その心が何より誰より強いから。
里に帰った後、問われる前に隠すことなく一切を語った。その上で、どんな裁きでも受ける、拷問でも処刑でも好きなようにすればいいと、開き直りではなく潔く言ってのけた。
己の行動に間違っていた点があったことは認める。しかし、後悔はしていない。
だから全てを受け容れると言ったあまりに真直ぐな姿に、改めて彼の毅さを思い知らされた。
そんな彼を守る必要など無いだろうけど、だけどそれでも、こんなささやかな時間を紡ぎ保つことが出来ることを、守れているんだと思い上がってもいいのなら。
サイが言ってくれたように、自分のこの気配が彼にとっても心地良いものであるのだとしたら。そしたらちょっとは、調子に乗っても許されるだろうか。
(なぁ。お前はオレだから、こんな風に傍で眠ってくれんの?)
畳に散らばる黒い髪に指を伸ばしたい。閉じたまぶたにも、囚われた時間のせいで少し削げてしまった頬にも触れてみたい。その口唇に、キスしたい。
だけど本当に触りたいのはそんなものじゃない。一番知りたいのは衣服で隠された肌なんかじゃなくて、何重もの硬くて厚い壁でガードして深い所に押し込められたその心だった。
そう、知りたくて触れたくて、欲しくてたまらないのはサスケの気持ちなのだ。
そしてその全てを、自分のものにしてしまいたい。
(あぁ。なんでキモチって、コトバにしなきゃなんねーのかなぁ……)
詮無きこととは思いつつ、どうにも情けなくてナルトは胸に溜息を吐く。
サスケは大事な仲間で大切な友達だ。何度も繰り返し、彼にそう言ってきた。だからこんな想いは、間違っている。もしもバレてしまったら、ようやく結んだふたたびの絆もほどけてしまうかもしれない。
そう思えば怖かった。それなのに、願ってしまうのだ。
いつかサスケが、この気持ちに気づいてくれますように。
この想いが届きますように……と。
◇
無防備に、安心しきったように眠る姿に、心でそっと呼びかける。
あのな、サスケ。
(あの花な。一度寒さに遭わねえと、咲かないんだってさ)
(そんで、咲くのは白い花なんだ)
(ちっちゃくて雪みてえに白い花がいっぱい咲いて、そしたら雲みてえになるんだってさ)
そう、真夏のほんの少し前に花開くのだと言っていた。
だから上手くいけば、ちょうど彼の生まれ月にそのふわっとした白が生まれるはずだ。
それを彼が、喜んでくれますように。どうかその時、笑っていますように。
来年じゃなくてもいい。その次の年でも、三年先でも五年先でも、十年掛けたって構わないから。何年だって何日だって、オレはそれを数えるから。
(だからさ、サスケ)
トラックジャケットからはみ出た手のひらにこわごわと触れてみる。
ほんのちょびっとだけ指さきを重ね合わせ、微かに伝わる彼の温もりに願いを刻んだ。
いのが教えてくれたその花の名と花言葉を思い出す。
宿根カスミソウ。
無邪気、親切。清い心。
そして、『切なる願い』。
―――どうか、どうかこの先が。君を待つその未来が、優しいものでありますように。
*** * *** * *** * *** * *** * *** * *** * *** * ***
以下、あとがきもどき。
原作最終回までを踏まえて修正したものをpixivへUPしておりますが(Baby’s breath)、サイトにはあえて原型を収めました。
あっちもこっちも下手クソだなぁと思うし何より、サスケに関する表現、傲慢や高すぎるプライドといった言葉は今の自分では絶対に書かないものです。(当時の)テンプレート的な‘サスケ’に疑問を持っていなかったこと、読み込みの浅さもですが「自分が考えるものを自分の言葉を探して書く」という最低限に至っていないなぁ……と反省しきりでしたが、こんな風に読み返せたことは多少の進歩かもしれないと思いたいです(楽観的)。
また、pixiv版ではサクラちゃんに対する表現は抑えめになっています。「#ナルサス」というタグを付ける以上、‘初恋’や‘猫耳を付けたサクラがかわいかった’といった部分が苦手な方もいるだろうかと削りましたが……その辺はあまり気にしなくても良かったんじゃないか?とも思います。
導入のサイとナルトのやり取りは出来はともかく、書いていて楽しかった記憶があります。絵を描く人には対しては強い憧れというか、「絵を描く」ためにこの人はどれだけの時間とどれほどの努力をしてきたのだろう……という尊敬が止めどなくて(字の場合、‘ナルト’‘サスケ’と書けばナルトとサスケになってくれるし‘ふたりで笑った’と書けばふたりは笑うので練習といったものがない)、そのせいか絵描きを書くのがやたら好きです。余談すぎますが、オリジナルの方では画家が主人公のものを書く程度には。ちなみの猫のモデルは友人宅の猫ちゃんでした。
そしてやはり、「ナルトの傍でだけ安心して眠るサスケ」はこの頃から至上の萌えでした。あまりにかわいい。めちゃくちゃかわいい。
なのでこれまで何回も書いてしまっていますが、これからも何度でも書きたいです。
タイトルはまんまですし、そもそもこの話の発端はミ〇〇ー〇ドレ〇のあの曲です。
(タイトルを付けるのは今でも苦手ですが当時は考えることすらしていなかった、という……)